なんてったってモーツァルト

special

なんてったってモーツアルト

by 迅バブヲ

    •  この世にモーツアルト好きは多い。それは作家、文学者のなかでも同じこと。モーツアルトが作家達たちにいかに偏愛されたか、ここでちょっと見てみましょう。
    • ★モーツアルト伝説のはじまり
    • 『私はねたむ。根深く悩ましいねたみ心を抱く。ーああ、何ということだ! どこに正義というものがあるのだろう? もし聖なる天分が、もし不滅の天才が、燃ゆる愛、自己犠牲、労苦、熱意、祈りに対する報いとして与えられるのではなくて、分別のない、怠惰な道楽者の頭に後光を輝かせるのであるならば。‥‥ああ、モーツアルト、モーツアルト! 』(プーシキン「モーツアルトとサリエーリ」川端香男里訳)
    •  ピーター・シェーファーの「アマデウス」は舞台と映画で大好評だった。実はその百年以上前に、ロシアの国民的大作家プーシキンが同様の着眼で戯曲を書いていた。凡才が天才を妬む葛藤の物語、引用はサリエーリのせりふ。1825年、サリエーリが死の直前に懺悔をしてモーツアルトの毒殺を告白した、という噂が広まった。その翌年に早くもプーシキンはこの作品の構想を得たのだった。こういう作品が作られるたびに、モーツアルトの伝説が膨らんでいったのである。
    • ★目指すはモーツアルト
    • 「真実性と興味性とを共に完全に備えたものが、真の叙事詩だということだ。之をモツアルトの音楽に聴け! 」(中島敦「光と風と夢」)
    • スティーブンスンをモデルに書いた芸術家小説のなかの一節。主人公は作家として、通俗性と芸術性を兼ね備えた作品をいかにして書くか、という例の大問題を考えている。そんなとき理想の芸術家としてモーツアルトが想起されるのである。中島敦は次のような面白い和歌も残しているのでついでに紹介しておこう。
    • 『ある時はモツアルトのごと苦しみゆ明るき芸術を生まばやと思う』
    • 「山月記」でお馴染み、漢学の素養溢れる名品を残した中島敦は、芸術家として実はひそかにモツアルトに理想像を見ていたのでした。
    • ★モーツアルト通の皆様へ
    • 「大音楽家モーツァルトの本名は、ヨアンネス・クリュゾストムス・ボルフガングス・テオフィールス・ゴットリープ・アマデ・アマデーウス・モーツァルトである。
    •  モーツァルトは三歳の時に生まれたが、理由はよくわからない。
    •  彼はザルツブルグの父の家で生まれた。おそらく母がいなかったからであろう。」(筒井康隆「モーツァルト伝」)
    •  世にモーツァルトの伝記多けれど、筒井康隆にかかるとこうなってしまうという異色作。ハチャメチャな話のようでいて、良く読むと深い知識の裏付けがあって書かれていることがわかる。そもそもパロディというのはそういうもの。本歌取りは本歌がわかってなけりゃできない道理。だからこのモーツァルト伝は読者にとって高難度。モーツァルト通の皆様はぜひトライしていただき、このハチャメチャな伝記に隠された本歌を読み取ってみてはいかが。引用した文は冒頭から。ちなみに最後は次の如し。「モーツァルトは三十五歳まで生きた。なぜかというと、三十五歳で死んだからだ。
    • ★子供はみんなモーツアルト
    •  サンテグジュペリの名作「人間の土地」の最後に、「虐殺されたモーツアルト」という印象的な文章がある。それは革命間もないモスクワから、パリ=ソワール紙に寄稿したルポが原型になっている。
    • 夜汽車の三等座席は母国へ帰るポーランドの鉱夫でいっぱい。はてることのない車輪の音が居眠りの伴奏となっている。ふと目の前の座席を見ると一組の夫婦がいて、その間に窮屈そうにかわいい子供がひとり眠っていた。ああなんとかわいい顔なのだろう。このむさくるしい両親からこんなに美しい子供が生まれる奇跡!
    • 「これこそ音楽家の顔だ。子供のころのモーツアルト、ここにこそすばらしい人生の約束がある!」
    •  子供はいつだってひとりのモーツアルトなのだ。しかしこれを宝物のように大切に育てる「人間のための庭師」はいない。やがてこの少年も凡人になり、この両親のようになってしまうことだろう。サンテグジュペリはそれを"モーツァルトが虐殺される"と表現した。
    •  モスクワから電話で原稿を読み上げるサンテックス。パリの新聞社では締め切り時刻が迫っているので、秘書が電話を聞きながら直接タイプで原稿を起こす。このモーツァルトの部分が打ち出された時、それをずっとのぞき見ていた編集者は記事のタイトルを決めることができた。
    • ★変な警官
    • 『「君の道楽はなんだね」と、私は訊いた。
    • 「ピアノを弾くんだよ。頭が古くてね。モツァルトとバッハが好きなんだ。モツァルトはいいぜ。単調のようだが、すばらしい。」
    • 「誰がうまいだろう」
    • 「シュナーベル」
    • 「ルビンシュタインは....」
    • 「感情がはいりすぎる。モツァルトは純粋な音楽だ。演奏者の解釈はいらない。」』(レイモンド・チャンドラー「かわいい女」清水俊二訳)
    •  チャンドラーの「かわいい女」のなかに端役だが魅力的な警官が出てくる。一時的に警察に捕縛されたフィリップ・マーロウの相手をする警官だが、優男で趣味がピアノだというのだ。暇つぶしにマーロウの前でくりひろげるカードの手さばきは実に見事、優美な動きはピアニストの指先そのもの。マーロウはおもわず訊ねる、「警官の仕事は好きかね」。この警官はずっと夜勤勤務を続けているのだが、その理由がいい。昼間に思いきりピアノを弾くためなのだ。殴ったり殺したりのハードボイルドの真っ只中に、突然こんな優男でモーツァルト好きの警官を登場させたチャンドラー、心憎い技である。
    • ★酒の肴にモーツァルト
    •  小林秀雄はモーツァルトの音楽を「走り去る悲しみ」と言ったわけだが、立原正秋は「独特な傾斜を持つ美の世界」と言った。立原正秋も大のモーツァルトファンで、モーツァルトの音楽に影響されていつくかの作品を書いたことを告白している。
    • 「街を歩いていて私はモーツァルトに出逢うことがある。彼はいつも向こうから不意にあらわれる。そんなとき私は一目散に彼をつれて自分の書斎に帰り、行き詰まっていた小説の続きを書きはじめる」
    •  立原正秋の美の世界にとって世阿弥とモーツァルトは特別だった。それはともに「雅びた情緒と幽かな哀調が見られるが、この哀調には感傷の曇りがない」からであり、「よぶんなものがひとつも見当たらない」からだ。
    •  数あるモーツァルト発言の中で、一番面白いことを言ったのは、立原正秋かもしれない。彼は隣家から聞こえてくるモーツァルトの音楽を聞きながら鮟鱇鍋をつついて悦に入り、「モーツァルトとはよく合う」と言った。鮟鱇鍋のBGMにモーツァルト、一度試してみてはいかが。